TAKAHASHI TATSUYA 1943-2025
高橋達也 人生アーカイブ背番号のない、
名選手。
口数は少なく、愛は大きく。
阪神タイガースと柴犬のコロと、家族を愛した82年。
兵庫県尼崎市 享年82
絵に描いたような、寡黙な男
たつやさん、という人
達也は、絵に描いたような「寡黙な男」だった。仕事から帰ると、余計なことは喋らず、決まった時間に風呂に入り、決まった時間に食卓につく。中学を出てから四十五年、尼崎の町工場で旋盤を回し続けた腕は、家族の誰よりも太く、そして優しかった。
彼の人生の時計は、常に規則正しく、そして厳格に刻まれていた。風呂は七時。晩酌はビール一本。散歩は朝夕二回。――ただし、この時計が狂う日が、一年に何日かだけあった。
タイガースの試合がある日。孫たちが遊びに来る日。そして、コロが待ちきれずに鳴く日である。
六甲おろしと、いつもの特等席
そんな達也が、一年の中で最も感情を爆発させる季節があった。プロ野球の開幕である。
阪神タイガースをこよなく愛した達也にとって、夏の夜、冷えたビールを片手にテレビの前で試合を観戦する時間は、何にも代えがたい至福のひとときだった。背中を丸めてテレビを見つめる達也の姿は、高橋家における夏の風物詩であり、彼の一番人間らしい一面が溢れる特等席だった。
鼻歌は「六甲おろし」
機嫌よく鼻歌を歌いながら、晩酌のピッチが上がる。ビールが一本、こっそり二本目になる。家族はみんな気づいていたが、誰も何も言わなかった。
静かなため息と、早い布団
これまた静かに、悔しそうにため息をついて早々に布団に入る。翌朝はちょっとだけ無口の濃度が上がるが、コロの散歩には定刻通りに出た。
特等席の足元の、相棒
柴犬・コロ(1998-2012)
その特等席の足元には、いつも決まって一匹の相棒がいた。達也が我が子のように愛した、柴犬の「コロ」である。
達也は人間に対しては口数が少なかったが、コロにだけは、時折誰も聞いたことがないような優しい声で話しかけていた。毎朝・毎夕、どんなに雨が降ろうが風が吹こうが、達也は決まった時間にコロの散歩に出かけた。散歩から帰ると、コロの足を丁寧に拭き、頭を撫でる。
言葉はなくても、そこには確かに、達也の不器用で深い愛情のすべてが流れていた。
コロが年を取って歩けなくなった冬、達也は毎晩、自分の膝掛けをコロの寝床にかけて寝た。「風邪ひくで」と娘が言っても、「ワシは大丈夫や」と一言だけ。
コロを見送った日、家族は初めて、達也の泣く姿を見た。
人生スコアボード
82年の試合経過
兵庫県尼崎市に生まれる昭和18年。三人きょうだいの末っ子
中学卒業後、地元の町工場に旋盤工として就職以来45年間、同じ工場で腕を磨き続けた
職場の先輩に連れられ、初めての甲子園へタイガースがリーグ優勝した年。ここからすべてが始まった
幸子と結婚プロポーズの言葉は本人いわく「言うてない。伝わった」
長女・由美子が生まれる病院の廊下で無言のまま3時間立ち続けた
バックスクリーン3連発を茶の間で絶叫。そして日本一家族が知る限り、人生で一番大きな声だった
柴犬のコロが家族になる「犬なんかいらん」と言った男が、翌週には膝の上に乗せていた
工場を定年退職。その年、星野阪神がリーグ優勝「ワシの退職祝いや」が晩年の自慢話
コロを見送るそれでも散歩の時間になると、しばらく玄関に立っていた
妻・幸子を見送る遺影の前に、毎晩湯呑みをふたつ並べた
38年ぶりの日本一。孫とテレビの前で乾杯「長生きはするもんやなあ」と何度も繰り返した
永眠令和7年、初夏。眠るような穏やかな旅立ちだった
家族の手で「背番号のない名選手」公開試合はまだ、終わっていない
お小遣いと、ゲーム画面の向こう側
そんな「静かなおじいちゃん」のルーティンが、ガラガラと音を立てて崩れる瞬間があった。孫たちが実家に遊びにやってくる日だ。
「おじいちゃん、来たよ!」
孫たちの声が玄関に響いた瞬間、達也の目尻は一気に下がり、いつもの厳しい表情はどこかへ消え去ってしまう。普段は倹約家で規則正しい生活を守る達也だったが、孫に対してだけは、どうしても財布の紐が緩みすぎてしまうのが家族の語り草だった。
「ほら、これで好きなものを買いなさい」――母親(娘)が見ていない隙を見計らっては、孫たちのポケットに、そっとお小遣いをねじ込む。娘から「おじいちゃん、あげすぎ!」と怒られても、達也は聞こえないふりをして、嬉しそうにくしゃっと笑うだけだった。
孫たちがリビングでテレビゲームを始めると、達也はいつの間にかその背後に座り、じっと画面を見つめていた。ルールなど全く分からないはずなのに、「おい、右だ」「そこは危ないぞ」と、いかにも分かったような口調で口を出してくるのがお決まりだった。
孫たちが「おじいちゃんは黙っててよ!」と笑うと、達也もまた、嬉しそうに声を立てて笑った。自分のことを語るのが苦手な達也にとって、孫たちの賑やかな世界にほんの少しだけ言葉を挟み、同じ空間を共有することこそが、彼なりの最高の「愛の表現」だったのだ。
思い出ベンチ入りメンバー
カードをめくると、家族の記憶が出てきます
風呂は七時
▶ めくる時計より正確だった。停電の日も、なぜか七時に風呂に入っていた。どうやって時間が分かったのかは、今も家族の謎。
― 娘・由美子コロの足拭き
▶ めくる雨の日の散歩の後は、タオルを二枚使って一本ずつ丁寧に。コロより自分の方がずぶ濡れなのに、順番はいつもコロが先だった。
― 娘・由美子お小遣いの手口
▶ めくるお母さんがトイレに立った瞬間、無言でポケットに千円札。目が合うと「内緒やで」の顔をする。プロの犯行だった。
― 孫・さくら「おい、右だ」
▶ めくるマリオも知らないのに、なぜか指示だけは的確だった説がある。ちなみに言われた通りに動くと、だいたい穴に落ちた。
― 孫・健太負けた夜のため息
▶ めくる「はぁ」でも「ふぅ」でもない、「ほーっ」という独特のため息。あれが聞こえたら、その夜は野球の話をしてはいけない。
― 家族一同応援セットの定位置
▶ めくるテレビ台の右下に、メガホンと応援タオルがきちんと畳んで置いてあった。シーズンオフでも、そこが定位置だった。
― 娘・由美子六甲おろしの鼻歌
▶ めくる音程はかなり自由だったが、本人はいたって真剣。機嫌のバロメーターとして、家族全員が活用していた。
― 弟・修二湯呑みはふたつ
▶ めくるおばあちゃんが亡くなってからも、お茶を淹れるときは必ず湯呑みをふたつ出した。理由は、最後まで一度も語らなかった。
― 孫・さくら甲子園の焼きそば
▶ めくる球場に連れて行ってもらうと、必ず焼きそばを買ってくれた。「球場のは特別うまいんや」。確かに、あれは特別だった。
― 孫・健太遺された「背中」が教えてくれたこと
達也が旅立った後、実家には彼が愛用していたタイガースのメガホンと、色あせたコロの写真、そして「寡黙だったおじいちゃんの記憶」だけが残された。日記もノートも、手紙も、何ひとつなかった。
私たちは、彼が何も文章を遺さなかったことを寂しく思っていた。「もっと色んな話を聞いておけばよかった」と、何度も後悔した。しかし、家族みんなで思い出を持ち寄るうちに、私たちは気づかされたのだ。
おじいちゃんは、言葉ではなく『背中』で、たくさんの物語を遺してくれていたのだと。
決まった時間の散歩が教えてくれた誠実さ。コロの足を拭く手つきが教えてくれた優しさ。ポケットにねじ込まれたお小遣いの、不器用な愛情。ため息すらも、いま思えば全部、おじいちゃんの「言葉」だった。
家族から集めた写真と、断片的な思い出話。それだけを材料に、このページは編まれている。文字を遺さなかった人の人生も、こんなにも雄弁に語れるのだと、私たち自身が一番驚いている。
スタンドからの声援
家族から、おじいちゃんへ
お父さん。日記のひとつも残さんと逝ってしもて、最初は「うちのお父さんらしいわ」って笑うしかなかった。でもな、みんなで思い出を集めてみたら、出てくるわ出てくるわ。あんた、何も語らんかったんやなくて、全部行動で語っとったんやね。お母さんの湯呑みのこと、うちはずっと気づいとったよ。今ごろ二人で、ナイター見ながら一杯やっとる? コロも膝の上におるんやろな。
由美子(長女・遺族代表)
おじいちゃん、2023年の日本一、一緒に見られて本当によかった。優勝の瞬間、僕の肩をバンバン叩きながら「見たか!見たか!」って、あんなにはしゃぐおじいちゃんを見たのは初めてだった。あの夜の乾杯が、僕の一生の宝物です。今度、息子を甲子園に連れて行きます。焼きそばも買います。「球場のは特別うまいんや」って、ちゃんと教えておくから。
健太(孫・29歳)
おじいちゃんにもらったお小遣い、実は全部は使わずに貯金してました。今回、その貯金でこのアーカイブの制作費を少し出させてもらいました。おじいちゃんのお小遣いが、おじいちゃんの思い出を残す形になったよ。「内緒やで」って言われそうだから、これも内緒にしておくね。ここに書いちゃったけど。
さくら(孫・25歳)
兄ちゃん。あんたと行った甲子園、ワシは一生忘れん。試合中はひと言も喋らんくせに、帰りの阪神電車では「あの采配はな」って急に評論家になるんや。あれが楽しみで通っとったようなもんや。ライトスタンドの照明見るたび、隣におらんのが今も不思議でならん。先に行って、ええ席取っといてくれ。
修二(弟・79歳)
想い出アルバム
家族が持ち寄った、達也さんの日常のワンシーン




























GAME SET
ゲームセット。
それでも、物語はつづく。
勝った夜の鼻歌も、負けた夜のため息も。
コロの足を拭く手つきも、ポケットの千円札も。
あなたが背中で語ったすべてを、私たちはちゃんと受け取りました。
おじいちゃん、82年間、おつかれさまでした。
また会う日まで、こちらの応援席から声援を送ります。
このアーカイブについて(制作の経緯)
達也さんは日記やノートなどの「文字」を一切遺しませんでした。本アーカイブは、ご家族から集めた写真と思い出話をもとに、編集者が構成し、ご遺族の監修・校閲を経て、その人生をひとつの物語として編んだものです。ご家族の記憶が薄れる前に、達也さんが愛した日常を親戚一同で共有することを目的としています。
公開範囲とプライバシーへの配慮
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写真と思い出のデータについて
ご家族からお預かりした写真はすべて高解像度でデジタル化し、本サイトとは別に記録メディアでご遺族へお引き渡し済みです。万一本サイトの公開が終了することがあっても、思い出がご家族の手元から失われることはありません。「思い出ベンチ入りメンバー」と「スタンドからの声援」は、法事などの節目に随時追加していただけます。